磯村の山の歴史
~江戸時代は御用林~
弊社社有林のある群馬県高崎市倉渕町川浦地区の山林は、江戸時代、幕府が直轄する「御用林(御林山と御巣鷹山)」と、住民が共同で利用することの出来る「入会林」が混在していました。御林山は幕府の直轄林で、住民が木を伐りだすことは許されない山でした。御巣鷹山も鷹の繁殖を妨げないよう厳しく管理されていました。また入会林においても雑木は伐っても良いが、槻(ケヤキ)は伐ってはならないことになっていました。このため林内は槻の巨木が鬱蒼と生い茂っていたと当時の記録にあります。天保4~6年(1833~1835年)には、江戸城改築のため公儀御用材として川浦山(旧川浦村の山間部を指し、弊社社有林では鼻曲山、角落山、大平一帯が入ります)から大量の槻が伐りだされました。伐採現場で杣角に造材され幕府御用材の印を彫り付けて搬出し、相間川、烏川、利根川を経て江戸まで、大変な手間と費用をかけて運ばれました。この計画は天保4年に立てられ、伐採、造材は天保5年から行われました。山出し、川下げは天保6年1月から始まり10月に江戸猿江材木蔵に御蔵納めになったとのことです。当時の模様を描いたのが「川浦山御用木御伐出絵図(かわうらやまごようぼくおきりだしえず)」で、幅が30㎝で長さが10mあります。当時の林業の様子が事細かく表現されおり、その歴史的価値が評価され令和3年5月日本森林学会の「林業遺産」に指定されました。ここに掲載したものはその絵図の一部で、ここで描かれている「十丈の滝」は弊社社有林沿いにあります。絵図では、滝を避けて桟手(サデ)に材を乗せ高低差の少ない場所に滑り落とす情景を描かれています。弊社は、明治40年(1907年)この地で林業をスタートさせ、現在に至っております。弊社も江戸時代から良材を送り出していた川浦山林業地の伝統を受け継ぎ、新たな歴史を紡いでいけるよう努力していきたいと考えております。
※写真絵図は、【川浦山御用木御伐出絵図】(十丈の滝と考えられている部分)です。
当社林業のはじまり
~明治43年群馬県倉渕の地で創業~
当社は1910年(明治43年)に創業した年に群馬県群馬郡烏渕村(平成18年の市町村合併により、現在は群馬県高崎市倉渕町となっている)に山林を取得し当社の林業はスタートしました。当社創業者である磯村音介は少年時代を高崎市で過ごしました。そうした縁もあって、1907年(明治40年)、当時財政難にあった烏渕村の要請に応える形で、約900㏊(現在、所有する面積は約1030㏊になっています)の山林を買取ったことから始まります。
倉渕町は、群馬県の西部に位置し、総面積の85.5%は山林という山間地帯で、西端は軽井沢町、北は東吾妻町、南は安中市に接しています。気温は日中高く、夜間は冷え込むという典型的な内陸性の気候で、年間の降水量は約1,600㎜前後ですが、積雪量は少ない地域です。こうした倉渕の気候には良質材を産出するための条件が整っていると言えます。
山林を取得した当初は、落葉広葉樹が不整形に生い茂る天然放置林でした。そうした広葉樹を伐採して薪炭を製造、販売し、その伐採と並行して、スギ、ヒノキ、アカマツ、カラマツなどの針葉樹を主とした植林を行い、その後に人工林の保育作業を行うということを繰り返してきました。同時に、林道や作業道といった路網の整備を行ってきました。社有林の標高は400m~1,600mの範囲にあり、標高400mから800mではスギ林、ヒノキ林、標高が高い800m~1,600mでは、アカマツ林、カラマツ林に適した環境になっていて、それぞれの環境に合わせた樹種の植林を行い、現在は良好な状態で成長しています。また磯村音介は、将来の林業を見据えて(販売目的の樹種とは別に)、様々な樹種を実験的に植林しました。明治期になって日本に入ってきたユリノキをいち早く植林しました。また戦後に入ってきたメタセコイヤなども植林し、今では大木となって成長しております。また広葉樹であるケヤキや早生樹であるトウヒ、コウヨウザンなども植されています。現在、社有林のうち人工林の面積は約450㏊になっており、まだ残りの約580㏊は自然林として残っています。自然林には、広葉樹の原生林が広がっています。広葉樹は、家具材、床材や内装材などの用途としての需要(最近では国内産の広葉樹に注目が集まっている)が高く将来の資源として期待できますが、原生林として残っているところは地形的には険しい場所なので、伐倒、搬出などの施業方法が課題となっています。
現在の磯村の山
~水源涵養保安林としての健全な森づくり~
倉渕町には、利根川の支流水系である烏川が町の中心を流れており、高崎市、さらには首都圏の水道水源になっています。その烏川は、社有林の一部に接して流れており、社有林を取得した翌年の1911年(明治44年)には、改正森林法により「水源涵養保安林」に指定されました。「水源涵養保安林」は、水源地周辺の森林環境を維持することで「森林を構成する立木の樹冠や土壌を通じて河川流量が調節される(水源涵養と洪水を防ぐ)」ことを目的として指定される保安林です。
保安林に指定されると、指定施業要件として伐採の方法や伐採の限度、植林などについて様々な制限が加えられます。
・植林した針葉樹は45年以上にならないと伐採できない
・ナラやケヤキなどの天然の広葉樹も樹齢30年以上になってはじめて伐採が許可される
・伐採面積についても制約を受け伐採跡地には稚樹または萌芽を保育し、斜面崩落箇所は修復しなければならない
といったことがあります。
今日、健全な森林を造ることは、治山治水や環境保全、地球温暖化防止のための二酸化炭素の吸収源、さらには生物多様性の観点などから、保安林指定に関わらずその重要性が再認識゚されています。当社では、そうしたことが意識される前から一貫して行ってきた(社有林の環境を維持するという)業務の積み重ねが、現在の健全な森づくりに繋がってきていると考えています。
現在、水源涵養機能を保持・向上させるため、専任の社員が苗木育成・植樹・下草刈り・枝打ち・間伐・作業道整備など多数の業務を日々行っております。
当社の社員が1030haと広大な面積の森林を日々守り続けているのです。